ブラジル第2の都市リオデジャネイロは、森に覆われた山々とグアナバラ湾、大西洋のあいだに広がり、約620万人が暮らしています。1565年にポルトガル人によって築かれ、1808年にはポルトガル王室の宮廷が置かれ、1960年までブラジルの首都でした。現在は同名の州の州都で、2012年にはユネスコが山と海に挟まれたその景観を世界遺産に登録しました。
旅行者のお目当ては、コパカバーナ、イパネマ、レブロンのビーチ、コルコバードの丘に立つキリスト像、ポン・ヂ・アスーカルに上るロープウェイ、チジュカ国立公園の森、そしてサンバとボサノヴァの音楽です。カーニバルとコパカバーナ・ビーチの大みそかには、一年で最大の人出があります。この街にはアパートを借りる滞在がよく合います。初めての人や家族連れにはビーチ沿いの地区、カップルやアーティストには丘の上のサンタ・テレーザ、広さを求めるならバーハ・ダ・チジュカです。ペトロポリス、パラチー、ブジオスは、市外への定番の旅先です。
ほとんどの旅行者は、大西洋のビーチ沿いに広がる南部地区(ゾナ・スウ)に滞在します。コパカバーナには4キロメートルのビーチと遊歩道があり、アパートの建物もたくさんあります。さらに西、アルポアドールとドイス・イルマンスの丘のあいだにあるイパネマとレブロンは、より落ち着いた高級感のある地区で、背後にはロドリゴ・デ・フレイタス湖が広がります。レブロンは市内でも最も裕福な地区の一つとされています。ボタフォゴとフラメンゴはグアナバラ湾に面し、ポン・ヂ・アスーカルを望むことができ、それぞれに地下鉄駅があります。
中心部のそばの丘にあるサンタ・テレーザには、曲がりくねった狭い路地やアーティストのアトリエ、1900年ごろに上流階級の住む地区だった時代の豪邸が残り、カップルやクリエイティブな旅行者に好まれています。そのすぐ下のラパは、サンバと夜遊びの街です。西部地区のバーハ・ダ・チジュカは、長いビーチと湖、高層マンションが並ぶ新しい地区で、車社会を前提に造られており、広さを求める家族に向いています。
1922年から1931年にかけて造られたキリスト像は、チジュカ国立公園内にある標高700メートルのコルコバードの丘の頂上で、8メートルの台座の上に高さ30メートルの姿で立ち、新・世界七不思議の一つに選ばれました。1912年に初めて開業したロープウェイは、標高220メートルのウルカの丘を経て、標高396メートルのポン・ヂ・アスーカルの山頂まで上ります。チジュカ国立公園そのものは、主に皇帝ペドロ2世のもとで1861年に始まった植林によって生まれた森で、1961年に国立公園となりました。
リオデジャネイロ植物園では54ヘクタールの敷地に約6,500種の植物が見られ、フラメンゴ公園は中心部とコパカバーナのあいだの湾沿いに延びています。再開発された港湾地区には、サンティアゴ・カラトラバが設計した科学博物館「明日の博物館」が2015年に開館しました。その近くには、2017年に世界遺産に登録されたヴァロンゴ埠頭があります。マラカナン・スタジアムでは、1950年と2014年のワールドカップの決勝戦が行われました。
ポルトガルの探検家たちは1502年1月1日にグアナバラ湾に到達し、この湾の呼び名「リオ・デ・ジャネイロ(1月の川)」がそのまま街の名前になりました。1555年から湾内に住み着いていたフランス人入植者と戦うなかで、エスタシオ・デ・サ率いるポルトガル人が1565年3月1日に街を築きました。1808年にはポルトガル王室の宮廷がここに移りました。その後この街は1889年までブラジル帝国の首都、さらに共和国の首都を務め、1960年4月21日に政府がブラジリアへ移転しました。
1811年から1831年にかけて、50万人から100万人もの奴隷にされたアフリカ人がヴァロンゴ埠頭から上陸させられました。カーニバルでパレードを行うサンバチームの多くは、マンゲイラをはじめ北部地区を本拠地としています。リオはボサノヴァでも知られ、アントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ヂ・モライスが「イパネマの娘」を書きました。2022年の国勢調査では人口6,211,223人を数え、2016年には夏季オリンピックが開催されました。
国際線と国内線の大半を扱うリオデジャネイロ/ガレオン=アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港(GIG)は、通常ガレオン空港と呼ばれ、ダウンタウンの北約20キロメートルにあります。BRTのトランスカリオカ線が各ターミナルとマドゥレイラの近郊鉄道網を結び、ライトレールに乗り換えられるジェンチレーザ交通ターミナルへは直通のBRTが運行しています。市の中心部のそば、湾に面したサントス・ドゥモン空港(SDU)は、主にサンパウロ便やその他の国内線に使われています。
地下鉄は路線延長約58キロメートルに41駅があります。1号線と4号線は一つの路線として運行され、チジュカから中心部と南部地区を通り、バーハ・ダ・チジュカのジャルジン・オセアニコまで走ります。2号線はパヴーナからボタフォゴまでを結びます。ライトレールのVLTが中心部と港湾地区を走り、キンゼ広場(Praça XV)からはニテロイやパケタ島へのフェリーが出ており、そのほかの地域はバスがカバーしています。車が主に役立つのは、バーハ・ダ・チジュカと市外への旅行です。
市の北、オルガンス山地の谷にあるペトロポリスは、19世紀にブラジルの皇帝や貴族が夏を過ごした避暑地です。町の名は皇帝ペドロ2世にちなんでおり、皇帝はこの町の大聖堂に葬られています。さらに近いところでは、グアナバラ湾の対岸にニテロイがあり、キンゼ広場からフェリーで行けます。
州の南部の海岸、リオから約258キロメートルのパラチーは、イーリャ・グランデ湾に面しています。歴史地区は2019年に、イーリャ・グランデを含む湾周辺の保護された森林、海岸、島々とともにユネスコの世界遺産に登録されました。植民地時代には、石畳の「黄金の道(カミーニョ・ド・オウロ)」によってミナスジェライスの金鉱と結ばれていました。市の東約173キロメートルのアルマソン・ドス・ブジオスは、23のビーチがある半島の町で、1964年にフランスの女優ブリジット・バルドーが訪れるまではほとんど知られていませんでした。どちらも日帰りより、1〜2泊して楽しむのがおすすめです。
リオの気候は、雨季と乾季のある熱帯気候(サバナ気候)です。夏はおおむね12月から3月で、暑く湿度が高く、激しい雨が長く続くこともあり、内陸の地区では40°Cを超えることがあります。夏の激しい嵐は、ときに洪水や土砂崩れを引き起こしてきたので、天気予報や地元の警報に注意しましょう。年の中ごろにあたる冬は、暖かく晴れが多く雨も少なめで、通過する寒冷前線がときおり涼しい日をもたらすため、チジュカ国立公園でのハイキングに快適な季節です。
最も混み合うのは、200万人以上がコパカバーナ・ビーチに集まって花火を楽しむ大みそかと、四旬節前の数日間に開かれるカーニバルです。カーニバルは通常2月か3月初めに行われます。カーニバルの時期には、サンボードロモでのサンバチームのパレードと、ほぼすべての地区で開かれるブロコと呼ばれるストリートパーティーが楽しめます。どちらの時期も早めに計画を立てましょう。
初めてなら、コパカバーナ、イパネマ、レブロンがビーチのすぐそばで、なかでもイパネマとレブロンは落ち着いた高級感のある地区です。ボタフォゴとフラメンゴは湾に面して地下鉄駅があり、サンタ・テレーザはカップルやクリエイティブな旅行者に、ラパは夜遊びに向いており、バーハ・ダ・チジュカは家族連れにゆとりのある滞在を提供します。
リオデジャネイロ/ガレオン国際空港(GIG)はダウンタウンの北約20キロメートルにあり、南部地区のビーチはさらに南にあるため、渋滞を見込んで時間に余裕を持ちましょう。空港にはタクシーとBRTのバスが乗り入れています。市の中心部のそばにあるサントス・ドゥモン空港(SDU)はビーチに近いものの、主に国内線を扱っています。
年の中ごろにあたる冬は、暖かく晴れが多く雨も少なめで、観光やハイキングに向いています。夏(おおむね12月から3月)はビーチシーズンですが、暑く湿度が高く、嵐も多くなります。大みそかとカーニバルは、最も盛り上がり、最も混み合う時期です。
4〜5日あれば、キリスト像、ポン・ヂ・アスーカル、チジュカ国立公園、植物園、中心部と港湾地区、サンタ・テレーザを回り、ビーチで過ごす日も取れます。1週間以上あればペトロポリスを加えたり、パラチーやブジオスで1〜2泊したりできます。
南部地区や中心部の近くに泊まるなら必要ありません。地下鉄がバーハ・ダ・チジュカ、イパネマ、コパカバーナ、ボタフォゴ、中心部を結び、ライトレール、フェリー、BRT、バスがそれ以外の多くの地域をカバーしています。車が主に役立つのは、バーハ・ダ・チジュカと、ペトロポリス、パラチー、ブジオスへの旅行です。
はい。ビーチ、ポン・ヂ・アスーカルに上るロープウェイ、植物園、フラメンゴ公園、明日の博物館は、どれも子どもに人気です。アパートなら家族でも広さとキッチンがあり、長いビーチのあるバーハ・ダ・チジュカや南部地区のビーチ沿いの地区は、拠点にしやすい場所です。
リオは、キリスト像、ポン・ヂ・アスーカル、コパカバーナとイパネマのビーチ、カーニバルとコパカバーナの大みそかの花火、サンバとボサノヴァ、そして2012年にユネスコが世界遺産に登録した、山と森と海が織りなす景観で知られています。
AIの支援を受けて調査・執筆し、その後、下記の情報源で事実を確認しました。最終確認日:。